玉水新地を後にし、
はりまや橋を中心に北の酒場の集まる
帯屋町、追手筋のほうに向かった。
途中、商店街を歩いた。
訪れたことない土地の商店街を歩くのは
なんだか楽しい。
その土地の活気がわかったり、
お店の傾向だったり。
お土産やさんのパロディTシャツとかも
いいよね。
某スポーツブランドのマークに似たやつや、
ダジャレっぽいのが並んでいたかな。
やっぱり高知はカツオよね。
おびや町小路、55番街を歩いた。
やはり時間が朝10時ということで
人通りは少なかった。
見ることは叶わなかったが、
55番街のネオンが点いているところを
ぜひ見てみたかった。
そして、お店で飲食をしたかったのだが
またの機会に…
そして、はりまや橋向かって南の
赤線のあった堺町の風俗街へ。
1982年のゼンリンの地図にて
当時の店名と照らし合わせたので
それも一緒に記載したいと思います。
旅館有馬→ビジネス旅館有馬
旅館松島→ビジネス旅館わかば
よあけ旅館→ビジネス旅館こずえ
土佐トルコ→ロイヤル土佐
トルコ歌麿→黄金館
旅館錦→旅館錦
高知グランドホテル社員寮→ファッションヘルス姫御殿
恋火→アラビアンナイト(駐車場)
今のアラビアンナイトの場は空白になっていたが
住所的には恋火
ホテルハンドインハンド→ホテルぶーけ
旅館熱海→旅館熱海
お客様と思われる車はぐるぐる走っていて
人の出入りは感じるものの、
お店の前にお兄さんがどの店も
立っていなかったのが印象的だった。
ビジネス旅館、所謂、一発屋旅館
も同じく人気を感じなかった。
もちろん、時間が午前中ということも
あるかもしれないがよくわからない。
Twitterの高知の風俗関係のフォロワーさんから教えていだだいた情報によると、
一斉摘発後に閉店しそのまま放置されている
お店もいつくかあり、
昔は賑わっていたが今営業しているのは
数店舗とのことだそうです。
また、南はりまや町
(遊郭部さんのマップによると広岡町)
は青線とのことで歩いてみた。
ピンの辺りのピンクの外壁の建物が
遺構なのかな?と思う程度で
飲食店などはあまり見当たらず、
アパートが多く建ち並んでいて
静かな住宅街という感じだった。
静高荘
また、1982年のゼンリンの地図によると
同じ南はりまや町に高知検番とあるが
今は倉庫と駐車場になっていました。
そして、小説や映画「陽暉楼」の舞台である
得月楼の前を通り駅に向かった。
最後に自分なりに歴史を整理してみました。
稲荷新地(遊郭)→戦時に全焼→衰退
→南はりまや町に多くが移転
玉水新地(遊郭)→戦後は赤線→一発屋旅館
堺町(赤線)→現ソープ街、一発屋旅館
南はりまや町(青線)→住宅街
もし、間違いがあれば
教えていただけたらと思います。
参考文献
「色街百景」木村聡 彩流社
高知市周辺部 1983年度版 (ゼンリンの住宅地図)
「遊郭•遊所研究データベース」
http://yukakustudy.jp/archives/449
「遊郭跡•赤線マップ」遊郭部
更新日時:2018年10月23日(火) 01:45 コメントする