2018年7月28日(土) 06:40 遊郭・赤線コメント(4)

あいまい料理店 古河市編④

横山町の武蔵屋さんのある目抜き通りからそれた場所に
料理店の鑑札が残る一軒の民家がありました。
少し玄関の戸が開いており、
話し声が聞こえるので意を決して声をかけてみました。
玄関を開けると女性が2人迎えてくれました。
恐らく年齢はそれぞれ90代と60代かと思われます。
「古河の歴史について調べていて、
このあたりに昔、遊郭や赤線があったと思うのですが
知っていることがあればお話を伺ってもいいですか?
玄関に料理店の鑑札が残っていたのですが
昔、何かお店を営んでいたのでいたのですか?」
と、尋ねると90代と思われる女性がお話をしてくれました。

-赤線は何件くらいあったか覚えてますか?

1軒よ。

-ここ1軒だけだったのですか?
そうよ。

-お母さんがここにお店を開いたきっかけを
 聞いてもいいですか?

昭和27、8年から古河に住んでいて
元々古河の別の場所で飲食店をやっていたの。
それで、今の場所が貸家で空いていたから
移ってきたのよ。

-お客さんは何処から来る人が多かったですか?

いろいろよ。仕事で来ている人もいたし
宇都宮から来るお客さんもいたわ。

-女の子は多い時だと何人くらいいましたか?

5、6人はいたかしら。
今度も親子で稼ぎに来るのよ。

-今もお店をやっているんですか?

そうよ。男の人が通るから待っているのよ。
みんな男の人が煙草をぱかぱか吸うから
灰皿がいっぱいなのよ。

(いわゆるちょんの間として今でも営業しているのか?
今は静かな住宅街で人通りはないし、
お客さんの男の人が通るのか
親子で稼ぎに来る女性がいるのか本当かわからない。
灰皿の煙草も本人の吸い殻のように思う。
以降、半信半疑で話を聞く。)

話がひと段落すると
話をしてくれていた女性が、
60代と思われるもう一人の女性に
私に2階の部屋を見せるように指示しました。
そして、2階の部屋に続く階段の手前まで来ると

「今はお店もやってないし、男の人も来ないの。
ごめんなさいね。」

と、言い引き返すことにしました。
そして、90代と思われる女性に
「また来るからね。」
と、言い帰りました。
恐らく近所の人だったのかもしれません。

わかりづらいので、
この家に住む90代の女性を
以降お母さんと書くことにします。

そして、お母さんは
出身地のこと、実家の稼業、
若いころは東京のキャバレーで働いていたこと、
そのキャバレーで№1だったとこ、
家族のことを話してくれました。

「あんた今日からうちで働くかい?
仕事部屋は2階で6畳2間。
2階の部屋を見てきなよ。」

躊躇はありましたが、
恐る恐る見に行くことにしました。
階段には裸電球がぶら下がっていましたが
電気は付きません。
薄暗い中、急な階段を登ると
長テーブルに埃の被ったグラスが置いてあったり
家具や雑貨が散乱している状態で
お店をやっている感じはしませんでした。
恐らく、お母さんはお話しているうちに
お店を営んでいた時の気持ちに
タイムスリップしたのかもしれません。

-お母さん、見てきたよ。ありがとうね。

そうかい。あんた、名前は何がいいんだい?

-何がいいかなあ?
 私もね、去年までは夜のお仕事していたの。
 その時は、こむぎって名前でお仕事してたの。
 でも、今は結婚して旦那さんがいてお仕事辞めたのよ。

そうかい、旦那さんがいても私は構わないからね。
夕飯作ってからここに来てもいいし、
通いでもいいからね。
でも、その代わり旦那さんとよく相談して決めるんだよ。
喧嘩しないで仲よくするんだよ。
一度ここに今度連れてきなさい。
ママの顔見たらきっと旦那さんも安心するから。

-お母さんありがとう。今度旦那さんとも来るね。

奥に部屋があってベッドもあるの。
だから、そこに旦那さんと2人で泊ってもいいよ。

(木材が部屋をふさいでいたりするが部屋を見せてくれる。
以前、お母さんの娘さんが使っていた部屋だそうです。)

あんた給料はいくら欲しいんだい?

-いくらがいいかなあ?
 私はいくらでもいいよ。

それじゃだめだよ。
5000円なら5000円あんたにやるからね。
帳場に判子があるからお客さんが来たら
自分で判子を押すんだよ。

(見せてくれた判子は真新しい名字の印鑑でした。)

女の子がね何処か出かけるときは
全部ママの責任になるんだよ。
ママお金頂戴って言われたらお金やるし、
何かあっても大丈夫なの。
ママ強いから平気なの。

-ママ強いんだね。頼りになるね。
ねえ、ママ、あそこにある暖簾は昔使ってたの?

そうだよ、表にかけといてもいいよ。
お客さんが来るから私は座って待ってるね。

(暖簾を表にかけさせてもらいました。)

そして、少し世間話など話をして
外観や内装の写真を撮らせていただきました。

-お母さん、あそこに
御肴はご希望に依りまして御造り?致します。
って、書いてあるけどどんなおつまみ作るの?

そうねえ、今の時期ならおでんとかかしら。

-お母さんのおでんおいしそうだね。
 私も食べてみたいな。

などなど、お話していたらあっという間に
夕方になっていたので帰ることにしました。
「お母さんまた来るね!ありがとう!」
と、お礼を言い帰りました。

いつ頃営業していて、
どんなお店だったのか正確にわかりませんでしたが
お母さんが当時の女の子にどのように接していたのか
思いがけずスピリチュアルな?不思議な体験で
女の子への見守る温かい優しさを感じることができました。
また、ここには書きませんでしたが
家族とのエピソードなどを聞いて、
当時を生きる逞しさなどを感じました。

お母さんが元気なうちにまた
ママのお店のこむぎちゃんとして
会いに行きたいなと思いました。

更新日時:2018年7月28日(土) 06:40 コメント(4)

4件のコメント

  1. がりつう より:

    すごい!やり手婆だったおばあさん、当時の記憶が甦ってこむぎちゃんと話してくれたんだね。こむぎちゃん流記憶回想メソッドなら既に認知症になってしまっている世代の当事者へのインタビューが可能かもしれない!

    • mugikomugi より:

      お店の営業のことも、おばあさんが遣り手だったのかも曖昧になってしまい歯がゆいですが、
      これはこれで貴重な体験が出来たのかなと
      嬉しい気持ちでいっぱいです(^_^)
      またお年寄りの方とお話しする機会があれば
      今回の経験を活かしてゆっくりゆっくり
      お話ししたいと思います!

  2. 36号室 より:

    いつも拝見してます。
    今号は拝見だけでは気が済まずにコメントさせてくださいね。
    お母さんはココで生きてきて、いまも生きているということが沁みるレポートですね。

    そしてあなたの優しさもよく伝わってきます。
    「思いやりがあれば幸せになれる」
    ということを改めて感じた瞬間でした。
    ありがとうございました。

    • mugikomugi より:

      いつもありがとうございます(^_^)
      おっしゃる通り、
      お母さんは今もここで思い出と共に生きている
      と言うのを強く感じました。
      当時の人柄というか今の年齢より随分若い
      喋り方というか表情と言うか、
      気が張っている感じをお話していて感じました。
      まだまだ未熟ですが、読んで何か感じていただけて
      とっても嬉しいです。
      こちらこそありがとうございます。

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